プロフェッショナルキャリア 浅賀 雅彦

ダイナミックな “ものづくり”で日本を安全で豊かな国にする仕事
浅賀 雅彦

PROFILE

浅賀 雅彦
取締役執行役員東京支店長
1985年4月入社

日本大学理工学部土木工学科を卒業後、東京支店川崎作業所に勤務。
その後、全国各地の工事現場で土木技術者として従事。
現在は取締役執行役員として会社経営に携わる。

1985年~1988年

ものづくりが好き。がむしゃらに仕事を覚えた新人時代

東京支店川崎作業所(工事担当)

「ものづくりに携わる面白さ」を体感していたのは新人時代。横浜、川崎の海上・陸上工事の作業所にて施工管理をしていました。当時の日本経済はバブル景気の少し前で、建設業界は人手や機械も不足し、大変忙しかったのを覚えています。
施工管理の仕事はその大半をオフィスではなく、工事現場で行います。体力も使うし、関係者とのコミュニケーションにも気を遣う、わからないことだらけで、最初はかなり戸惑いましたが、ものづくりの喜びとその醍醐味、そしてどんなに忙しくても自分の思うように仕事が進められる充実感や達成感でいっぱいの日々を送っていました。

みなとみらい21にて。「横浜博覧会」を記念して撮影

思い出の現場みなとみらい21

入社3年目に携わった「みなとみらい21」の工事は、私の“工事屋人生”のなかで一番厳しい工事となりました。今ではレジャー施設やショッピングセンターもありますが、昔、そこは海だったんです。
桜木町駅前の動く歩道橋、共同溝、駅前広場など、横浜博覧会が開催される頃で、工期を間に合わせるのに必死でした。測量ミスによる手戻りがあったり、工事の遅れた分の埋め合わせとして大晦日まで生コンを打ったり、夜遅くまで働くこともザラでした(※今ではありません)。汗水流して働いて、その後に野毛の居酒屋で一杯飲むのが、私のエネルギーチャージになっていた良き時代です。

みなとみらい21の動く歩道の完成記念
1988年~1990年

海の工事は自然相手、臨機応変に動く

東北支店八戸出張所(工事主任)

横浜の現場で一連の仕事を覚えた私は、青森に転勤しました。現在も継続している八戸港の港湾工事に携わりました。海の仕事は自然相手です。早朝に風の向き・強さ、波の高さを見て、その日の工事の進め方を判断しなければなりません。
港湾工事は海象が良くなければ作業ができないので、できるときには一気にやる。できないときは、違う仕事に集中する。そういうメリハリのある工事の進め方も自然と学んでいきました。
工事の原価管理を覚えたのも、この頃ですね。自分の担当している現場でどれだけの出来高と利益を出しているのか算出することも、施工管理のミッションになってきました。

思い出の現場八戸ポンプ浚渫*工事

八戸出張所勤務のときは、今も続いている「ポンプ浚渫工事」を担当していました。冬はとにかく寒くて、天気がよくても摂氏0度に達しないこともあります。そんな厳しい環境のなかでも自社の作業船を使った浚渫、埋立工事を行いました。また、船での測量業務は「音響測深器」を使った細かい作業もありました。おかげで、全く船酔いしなくなるほど、船には強くなりました。

*しゅんせつ:港湾の底辺にある土砂などを取り除く工事

  • 仕事の相棒、八戸港の工事で使ったポンプ浚渫船
  • 八戸港時代の職場にて。今と違ってパソコンはありませんでした
  • しけの日の八戸港
  • 社員旅行のワンシーン。この頃の仲間は一生の関係です
1990年~2001年

人とのつながり、いいものをつくり出す

東京支店東京工事事務所(監理技術者)

東京支店に配属され、監理(主任)技術者として、一つの現場の運営と管理の責任者になりました。当然、発注者や協力会社との折衝は私の責任のもと行われました。
そこでは、多くの関係者とのコミュニケーションを大切にしながら、現場の管理を行い、より早く、より安全で、いいものをつくることが大切です。
特に人間関係は、社外が多くなっていきました。同じ工事を進めるうえで関係する建設会社、工事の協力をしている専門業者、海の工事では船舶関係者との連携もあります。そういった「人」とのつながりを大切にすることで、工事が円滑に進むことを学びました。

思い出の現場神津島の災害復旧工事

思い出に残っているのは、東京都の離島である神津島の震災関連工事です。2年あまり島暮らしをしながら、崩れた山の災害復旧に携わりました。島では風が非常に強く、7人乗り小型飛行機での行き来は、離着陸の際かなり揺れて肝を冷やしたものです。
また、今までに経験したことのない工事でしたので、どこからどのように仕事を進めていけばいいのか、かなり試行錯誤を繰り返しました。
しかし、どんな仕事でも必ず完成できる。このことを身をもって経験しました。

上空から撮影した神津島の災害復旧工事
2002年~2011年

創意工夫でピンチを乗り越える

東京支店東京工事事務所(現場代理人)

現場代理人は、その現場の責任者として、発注者と契約をする際の様々な権限が与えられます。現場の最終意思決定ができるポジションであり、その分、責任は重くのしかかってきます。
現場代理人になって強く感じたのは「創造し発展させる能力」が非常に大事だということです。それは自分だけでなく部下も同じで、チームで様々な知恵を絞り出しながら、創意工夫により、工程短縮とコストの削減、そして高品質のものをつくりだすことで、ピンチを乗り越えることができるのです。
私が新人だった頃、「ここにものができあがった姿を想像して、仕事の手順を決めなさい」と上司によく言われていたんです。その意味を、このときにやっと理解することができました。

娘の夏休みの宿題もここを課題にしました

思い出の現場豊洲・晴海地区再開発事業

現場代理人(作業所長)のキャリアで思い出に残っているのは、豊洲・晴海地区の再開発事業です。今でこそ、豊洲新市場・ららぽーと・オリンピック選手村と整備されている地区ですが、もとはガス製造工場や火力発電所、IHIの造船場の埠頭用地でした。ここの全ての施設を撤去し、新しい豊洲ふ頭をつくりあげました。
大型作業船などを使用するスケールの大きい海上工事で、3年余りの期間に6件の工事を統括しておりました。マンパワーが足りないときは、当社の仲間が応援に来てくれました。この現場ほど仲間の力にありがたさを感じたことはありません。
私たちが造ったものは半永久的に形に残りますが、仲間とは工事が完成したら解散です。どこか儚いけれども、これが建設業にはつきものです。

今では高層マンションが建ち並ぶ豊洲も、ほんの15年前まではこのような光景でした
2012年~2016年

これまでの数々の経験を活かし、現場のサポート役となる

東京工事事務所(所長)

東京工事事務所長の仕事は管轄する所内を全体的に見て、原価管理、人員配置、技術者教育などの統括業務を行うことで、現場責任者をサポートすることでした。
その一方で、対外的な仕事もぐんと増えます。管理者として、発注者や関連する企業、専門業者等への対応やコミュニケーションが主だったものです。
現場での様々な声に耳を傾け、時には意見調整や、問題の対応に走りまわり支店とのパイプ役を務めました。
広い視野をもち、コミュニケーションを深め、各作業所のリスクを排除する役目でした。

2016年~2018年

工事部員50名の統括責任者になる

東京支店工事部(工事部長)

東京支店工事部長に就任。所属する工事部員は50名ほどで、東京支店の事業計画作成と、受注・売上・売上総利益の目標の達成に向けて、工事部員全体を指揮、指導することが役目でした。
部長になると、部下の特性をよく知るためにコミュニケーションをとることが大切です。当社の社員は、みな前向きで、不真面目な人は誰一人としていません。一つひとつの現場で品質を重視し、社会に貢献できるものをつくっていると胸を張って言えます。
技術者の能力や可能性を信じ、適材適所に人員を配置し、また大切な数字の面では支店全体の計数管理を行っていました。
支店内で、うまくいってない現場への助言のほか、本社との調整役として、各工事部員がスムーズに働けるためのサポート役に徹しました。
管轄(関東地方、新潟県)の関係先、作業所での立会い等で出かけることが多く、かなりハードな職種でした。

2018年10月~2020年3月

施工本部へ異動、全国工事を統括する

2年半の東京支店工事部長のキャリア後、いよいよ本社(施工本部工事部長)に異動となりました。北海道から九州までの全国工事部の統括業務で事業計画を達成するために、各支店と綿密に連携することに注力しました。
このような現場を離れた本社のオフィス業務は、慣れておらず、やはり少しとまどいました。
オフィスワークの楽しさはありますが…、仕事の面白さを追求すると、私は現場に行き着きますね。やっぱりものづくりが一番面白い。
(2019年4月からは執行役員施工本部副本部長として、より重責のある立場となりました。)1年半の短い任期でしたが、全国をまわっての人間関係の構築と会社全体を見る力が身についたと思います。

長年、苦楽をともにしてきた同期たち
2020年

会社経営に携わる

取締役執行役員東京支店長

入社してから35年が経ちました。今度は会社経営に携わる立場で、東京支店の統括をしています。現場をうまく運営できるサポートも、社員が安全に安心して働ける環境をつくることにも積極的に取り組んでいます。
つらいこともあったけれど新卒から長く続けてきた理由は、仲間と楽しくやってこられたからです。
それは前向きに、試行錯誤を繰り返しながら、大事にものづくりすることができるこの会社と仲間に巡り合えたおかげです。
完成した現場、数年先の将来を思い描きながら、みなさんに相談し、知恵を借りながら仕事をしてきました。上司やともに働いてくれた同僚たちにも感謝をしながら、今与えられた役目を一生懸命果たしていきます。

=学生に向けてメッセージ=

老朽化した施設の維持補修や自然災害による災害復旧は今後も多く予想されます。土木技術は、必要不可欠なのです。建設業界も高齢化はますます進み、人手不足も深刻化しており、建設業界での次世代へのバトンタッチはすでに始まっているのです。
これからは、若手のみなさんが中心となって企業そして日本を牽引していかねばなりません。焦る必要はありませんが、自身の大きな可能性を信じながら自分が思い描いた通りにやってみたらいかがでしょうか。
どんな仕事でも一生懸命に取り組んでいれば、必ず見てくれる人はいます。多少遠回りしても、創意工夫をして、チャレンジし続けることが大切だと感じています。