プロフェッショナルキャリア 東田 将徳

日本全国の仲間と力を合わせ地図と、記憶に残る仕事をする。
東田 将徳

PROFILE

東田 将徳
横浜営業支店長
1983年4月入社

工業高校土木科を卒業後、当社へ入社。
北は東北から南は九州まで、日本各地に点在する難易度の高い現場で施工管理を行ってきた。現在は工事現場を離れ、横浜営業支店にフィールドを移し、営業支店長として新たなキャリアを積んでいる。

1983年~1988年

大切に育ててもらった新人時代

東北支店(技術員)

高校卒業後、私の出身地近くの東北支店むつ小川原六カ所村にあった工事事務所へ配属になりました。2~4名の作業員がいる小さな現場を転々とし、様々な工事に携わって経験を積みました。この時期は、東北地方の現場を半年スパンくらいで移動していて、自家用車に自分の家財道具を積み込んで、各県の工事現場を担当していたのを覚えています。

業務は測量、写真撮影、資料作成など先輩のお手伝いがほとんどです。私は工業高校の土木科を卒業しましたが、実際の現場では、見ること、やること、専門用語を含んだ会話などすべて初めてのことばかりで、覚えることに精一杯の毎日でした。20歳のお祝いをしてもらったのも東北支店にいるとき。先輩たちには、弟のようにかわいがられ、大切に育ててもらいました。

思い出の現場秋田国家石油備蓄基地(建設用地取得事業)

秋田県では、石油の備蓄基地の工事に携わりました。地元を離れて、知り合いがいないなかに飛び込んで工事をするのは寂しい気持ちもありましたが、頼り甲斐のある先輩たちに恵まれて、仕事もプライベートも充実して過ごすことができました。育ててくれる人たちに感謝の気持ちを覚えたのがこの現場です。

1989年~1992年

自分の頭で考え、行動する

九州支店(技術員)

東北から九州に異動し、大規模な海の現場に配属になりました。現場が大きくなると、受注金額も跳ね上がり、作業員の数も増えます。その頃の私は入社6年目で、先輩からの指示をこなすだけではなく、「自分の頭で考えて行動すること」を意識して仕事をしていたように思います。やりがいも感じてきた頃です。1級土木施工管理技士の資格を取得したのも九州にいたときです。
プライベートではよく長崎県の五島列島まで海釣りに行きましたね。振り返ってみると、仕事でもプライベートでも海の上で過ごすことが多い時期でした。

思い出の現場諫早湾干拓水門工事

諫早湾干拓水門工事は、工事規模が大きく、大手2社との共同企業体で施工を進めていきました。工事前半は海上からの施工がメインで、私はまだまだ下っ端でしたが、これまでの経験をフル活用して工事に従事しました。

1993年~2016年

作業所長として一つの現場を運営する

横浜支店(技術員)

入社して10年が経った頃です。1級土木施工管理技士の国家資格を取得したことで、監理(主任)技術者を務めることができるようになりました。この資格があると、一つの工事現場のまとめ役である、作業所長をすることができます。“工事屋”としては当たり前の資格ですけれど、これは区切りのキャリアになりますね。

作業所長になると仕事の内容はガラっと変わります。作業所の中では工事管理の責任者として対外的な折衝事がぐんと増え、部下の教育や安全管理など、今まで以上に広い知識が必要になり、責任が重くのしかかってきます。

仕事のやりがいを感じるのは、作業所職員たちと試行錯誤して行った工事が発注者から高い評価を受けたときです。品質、安全、施工体制、創意工夫など、いくつかの評価軸で工事が評価されるので、高得点をとることで次の工事につなげていきます。

大型船が停泊する桟橋をつくりました

思い出の現場横浜港大桟橋地区岸壁

横浜港大桟橋地区岸壁の工事は、クルーズ船「飛鳥Ⅱ」などが停泊する桟橋を造る工事でした。一般市民の方々が日常的に利用する施設を造ったのは初めてで、「港へ行ってきた」なんて話を聞くと、多くの人の役に立っている実感があって嬉しさがこみあげてきました。また、作業所職員たち全員の努力が「社長賞」という形で評価された思い出いっぱいの現場です。

横浜港大桟橋地区岸壁工事
2016年~2020年

どんな困難も「やればできる!」を再認識

東京支店(現場代理人「作業所長」)

これまでいくつもの現場を担当してきましたが、私が担当してきたのは「海の仕事」が99.5%、「陸の工事」が0.5%です。気が付けば「海の工事」のプロフェッショナルとして、あらゆる経験を積んできました。(まだ経験の無い工種が多々ありますが)

それでも、一つとして同じ現場がなく、天候や海の状態に左右されやすい仕事なので、スケジュール管理などにはその日その日ごとの臨機応変な対応が必要になってきます。ルーティンでの仕事はありません。

これまで現場代理人として多くの経験を積んだ私は、大規模工事の責任者になりました。規模が大きくなると、その分、乗り越えなければならない課題が次々とやってきます。その都度、対策を考え、乗り切ったときには大きな達成感がありました。長年の経験を積んでも「やればできる!」というチャレンジ精神の大切さを感じます。

思い出の現場茨城港常陸那珂港区 廃棄物処分場建設事業

当社の仕事の中でも、工期4年、受注金額約50億円という大規模工事の責任者になりました。私の経歴のなかで最も大きな工事がここです。今だから言える話ですが、実は、小さなトラブルが連発! 作業所の人員配置にも課題がありました。それを乗り越えて竣工したときには、ほんとうに感無量に…。これが私の最後の現場になるかもしれないということもあり、現場を離れる寂しさも感じました。

次期処分場護岸築造工事は海上での埋め立て地づくり
  • 作業船「富士」。富士とも長い付き合いです
  • 現場近くの砂浜にて、ビーチクリーンも実施
  • 仲間とのBBQ大会も思い出がいっぱいです
2020年

営業マンとして、ここからが再スタート

横浜営業支店 支店長

海の現場を離れた私は、横浜営業支店の一年生です。作業着からスーツを着るようになり、出勤場所も工事現場事務所からオフィスへと変わりました。ライフスタイルもガラッと変わりました。新たな一歩を、また歩みはじめます。

=学生に向けてメッセージ=

高校を卒業してからのキャリアを振り返ってみました。こうやってみると、当社の仕事の特徴は「いろんな仕事に携われること」です。これが、一番の面白さだと思います。若い時は先輩方と、そして年齢もキャリアも重ねた今は、20代の希望溢れる若手社員たちとコミュニケーションをとって、互いに尊敬しあいながら仕事を進めています。
私にとって、ずっと居心地のいい場所がこの会社。私の居場所はここだと感じています。